2009年11月12日木曜日

チュービング!!






バンビエンに入ってからぐずぐずした天気が続く。


ある日、宿のネットを借りていると、トップページに

『Michael Jackson』の文字が。

まさかと思ってyahooを開くとマイケル死亡のニュースが!!!





このまちの真横(真横って言うのかな)にはナムソン川というメコン川の支流が流れてる。

黄土の混じりまくった、かなり微生物が多く泳いでそうなこの川では、「チュービング」と言う遊びが有名。

日本でラオスに行った友達は、バンビエンに行ってチュービングをしなかったらラオスに行ったことにはならないとまで言っていた。


話を聞くと実に楽しそうなので、ぜひやりたいと思っていたけど、あいにくの天気が続き、なかなか思い切りが着かずにいた。

しかも、とにかく欧米人が多いため、一人で参加するのもあまりテンンション上がらないと思い、天気がよくなるため日々気の合いそうな日本人探しをしていた。


そんな感じで、何もしないまま日々を過ごしながらある日一人で昼食を食べていると、ルアンパバーンで一日だけ一緒だったマイコちゃんと言う女の子が声をかけてくれた。


1日2日前からこっちに来ていたらしい。


しばらく二人ではなしていると、今度はマイコちゃんが以前タイからバンコクに川をこえてくる途中一緒になった夫婦に遭遇し、4人で話をしていると、さらにマイコちゃんの顔見知りの男の子が来た。


しかもその夫婦は昨日すでにチュービングをして来たらしく、その楽しかった体験をやや興奮気味に話してくれた。

しかも一回では飽き足らず、もう一度行きたいと話していたので、最初は乗り気じゃなかったマイコちゃんも含め次の日みんなで
行くことに決めた。





翌日、集合時間にやや遅れたが、みんなでチュービングへ。


受付を住ませると、ソンテウと言うトラックの荷台に屋根をつけただけの乗り合いタクシーで上流へ。


スタート地点に着くとそこにはターザンジャンプ台からアクロバティックに飛び込む欧米人、それを酒を飲みながら見物し、ハイテンションな欧米人の人だかり。



ターザンジャンプは大きな木に板で作られただけの3メートルくらいの高さに作られた台から、サーカスの空中ブランコみたいなぶら下がり棒に捕まりロープを伝ってすべり落ちる、結構大掛かりなものだった。



かなり楽しそうだけど、落ちて少しでも水を飲んだらヤバそうだったのでしばらく見てると、同行した大学生の男の子が飛びに行った。

その後夫婦で来ていただんなさんも行き、結局俺も我慢できなくなりジャンプ。

思いっきり鼻と口をつまんで着水。

一瞬だったけどとても楽しい!!



その後、ついにチュービング。



ジャンプ台の真下で、トラックのタイヤの中のチューブにはまるようにしてすわり、そのまま流される。

これがチュービング。



途中、ジャンプ台のような場所があり、手を振るとひも付きのペットボトルが投げ込まれ、それをたぐり寄せて上がって行くと、ビールが買える。
そこでビールを買うとさらにジャンプできるという仕組み。



あいにくやらなかったが、くもっていながらも本当にドラゴンボールのような、中国の水墨画のような景色の中、黄土で濁りまくった川をひたすら流される。




ゴール近くの川には中州があり、川は二手に分かれている。

そこを左に行けば受付に戻れるはずだったが、その情報を聞いたときは時既に遅し、完全に右の方に流されだしていた。


何とか左に行くべく、浮いてた竹の幹をつかんで漕いで見るが、自然の力には歯が立たず、そのまま一人、右へ。




どうしようかと思ったが、しばらく流され、川沿いに民家がや宿が並んでいて、男性が二人いたので、冗談で



「ヘルプミー」


と手をふると、


「大丈夫ですか?」


と日本語で返されてしまったので、つい「大丈夫です」


と返してしまった。




そのしばらく先に何とか這い上がれそうなところが会ったので、自力で左に寄って行くと、今度は地元の子供達が飛び込んで遊んでいた。


彼らに手を振って、助けを求めると、六人くらいがまとめてよって来て、チューブに手をかけ、一緒に流れる。


その後みんなで引きずりあげてくれ、チューブをはこんでくれて、手を貸してくれた。


サンキューと言うと、一斉に「マニー!マニー!」といわれてしまって、持ってないと言ったけど、もし持ってたら是非あげたいと思った。



そのあと無事みんなと再会し、夜はみんなで野外ステージのあるバーに出向き、欧米人達と半裸で戯れた。

次の町、ルアンパバーンへ



もう一日ルアンパバーンで過ごし、さらに次の日の朝、次の町バンビエンへ長距離バスで向かった。



バンビエンに近づくにつれ、中国では見られなかった、ドラゴンボールに出てきそうな風景が広がり始めた。

6時間かけて到着。

地球の歩き方を見ながら宿を探すが、どうにも宿が見当たらない。

仕方なく同じバスに乗って来たカナダ人の男性に聞くが、やはり彼もよく分からない様子。

すると誰かが自転車で通りがかった欧米人に尋ねると、最近バスターミナルが移設したようで、地図とは違う場所にいると言うことが判明し、そこからみんなで20分ほど歩く。




しばらくすると、ラオスに入ってからは見かけなかったユースホステルを見つけ、そこのドミトリーに今夜の宿を決める。


荷物を降ろし、とりあえず町を散歩すると、とにかく欧米人が多いことに戸惑う。


夜はインド料理屋で一人でナンを食べた。


食べ終わる頃にスコールが降り始め、ものすごい音を立ててふっていた。


そんな雨の中酒に酔った欧米人たちがテンションが上がっちゃったみたいで大声を上げながら歩いている。


そんな光景を見ながら雨のやむのを待っていると、別の席にいた日本人の男の人と女の人に呼ばれ、テーブルを移動した。


30半ばくらいの二人で、男性はルアンパバーンに住んでいて、ここでレストランバーを経営しようと思っているらしい。


ビールをごちそうしてもらって、少しはなしをしたけど、男性はなんだか機嫌が良くないらしく、あまり会話は盛り上がらず、小一時間で宿に戻った。


ドミに戻ると、欧米人の二人組が寝ようとしていたが、何ともテンションがおさまっていない様子だった。
一人でこそこそ寝ようと思ったけど、最近流行りの変な葉っぱやってんじゃないかと思い、からまれてもつまらないと思ったので、急遽独り部屋に移してもらった。


移してもらった部屋は独り部屋にしてはそんなに値段も貼らず、ファンや、小さい照明、シャワートイレも着いていたのでかなり快適だった。

2009年10月8日木曜日

九さい溝の写真






前に書いた中国、九さい溝の写真です。

2009年10月7日水曜日

小さな奇跡



ラオス3日目は、昨日申し込んだ滝壺ツアーへ。

朝宿の前までツアー会社のピックアップが来て、そのあと何カ所か宿を回り、最終的に欧米人たち6人と一緒にウォーターフォール(つまり滝)ツアーへ出かけた。


町からツアーバスで1時間くらい走ったところにきれいな滝がいくつかあり、そのなかの何個かは滝つぼに飛び込めるようになっている。

バスは町(というか村)を出発してから1時間以上走った。
途中、昨晩一緒に飲んだ日本人達がソンテウという大型のトゥクトゥク見たいな乗り物で前を走っていて、追い越して行った。


バスで入口まで行き、チケットを買って中に入っていくのだが、入る前に一人で昼食をとっていた。
すると一人の韓国人が英語で話しかけてくれて、一緒に行こうと誘ってくれた。

一緒に食べているとさっき追い越した日本人達が到着して軽く挨拶して彼らは先に入って行った。


韓国人の彼とご飯を食べて一緒に中に入っていく。
英語ですこし会話をすると、彼は自転車で旅をしているらしい。

一緒に滝に入り、写真を撮ってくれたりした。

アドレスを教えてくれて、韓国に来ることがあれば連絡してくれと。

滝壺はとてもきれいな水色をしていた。先に何人かの欧米人達が滝壺で泳いでいた。
滝壺に張り出した木の幹にはロープがくくり着けられていて、そこからみんなターザンジャンプをして遊んでいた。

俺も何回か飛んだ。久々に体を思う存分解放できてすごく楽しかった。


そこで、水中で写真を撮れるために日本で買ったドコモの防水携帯電話を水中に入れて撮ったりしてたらまんまと故障。。。



滝の後は、小さな集落を一周させられたが、子供たちにお土産買って行ってとたかられ、いい気分はしなかった。



滝から変えると、滝壺の入り口で会ってから中では会えなかった日本人達と再会し街の中心にある小高い丘に登り夕日を見てから夜は再びナイトマーケットの屋台に集合。

直樹くんと瞳ちゃんは昨日帰ってしまったけど、今日は昨日以上に人が集まりたくさん飲んでとても楽しかった。


俺と同じように一人旅をしてる人、会社の休みをとって1週間だけ休みを取って来た人、休学して来た人、オーストラリアでワーホリを終えて東南アジアによって来た人、そんなバラバラに旅して来た人たちとラオスの小さな町で偶然出会って、1晩、2晩で笑いながら飲むと言うのは、勝手にテンションが上がってしまう。こんな出会いも奇跡だ。

ラオスは日本人がいっぱい





ラオス2日目。

自分がラオスのルアンパバーンに着いたと言う事実は、昨日乗って来た中国からの長距離バスから降りるときに添乗員のおっちゃんに、

「ヒアー イズ ルアンパバーン?」
「イエス!」

と確認した事実のみ。

そして僕はここがルアンパバーンのどこらへんなのか、まったくわからなかった。地球の歩き方の地図を見てもどうやら地図外のようでわからなかった。

しかし僕はどうにかしてチェックアウトまでに現在地を把握したかった。
今日中には地球の歩き方に書いてある日本人が多く集まる安宿に移りたかったからだ。

ノービザでラオスにいられる期間は15日間。短い期間で移動するには早いとこ日本人に会って、ラオスの特徴などの情報を聞き出した方が効率よく旅ができると思ったので、とりあえず9時に宿を出て、歩く。

地図には川や、歴史的建造物、大通りの名前が書かれていたので、とにかく市街地へ出れば自分が何処にいるかわかると思たので歩く。

さらに、現地通貨がないので、キャッシュカードが使えるATMを探す。

自分が何処にいるかがわかっていて、お金を持っていればとりあえずのんびり旅を味わえるけど、その二つ、特に現地通貨がないとかなり不安になる。

12時までにチェックアウトもしたいので少し焦る。ただ空はとてもきれい。町もいい雰囲気。


少し歩いてると「EXCHANGE」の看板を発見して、ここでトラベラーズチェックがキップに換金できるかと思って少し喜びながら入って行き、英語をしゃべれるスタッフを呼んでもらい、トラベラーズチェックを換金してもらえるか聞くとここではできないから銀行へ行ってくれと言われた。
それじゃあここはどこ?と地図を見せながら聞くけどなんだか良くわからない。
しばらく話していると、そとにトゥクトゥクがいるから、そいつに銀行まで連れて行ってもらえと銀行の名前を聞き、そこを出た。

出て宿の方に戻るように歩き始めるとすぐにトゥクトゥクを見つけ、見た目人の良さそうなドライバーを選ぶ。
銀行まで連れてってほしいことを地球の歩き方に書いてある数少ないラオス吾を交えながら説明するとおじさんは出発し、今来た道を戻り始めた。

そして宿を通り過ぎる。

ここから僕は必死に道順を覚える。

なぜなら方向音痴だから。

どこか道を曲がれば、曲がったあとすぐに後ろを振り向きその風景を記憶する。
曲がったのを覚えていても、帰りの風景は違うのでその風景を見とかないとわからなくなってしまうからだ。
さらに地図を確認しながら特徴的な建物や、道路の名前を確認し、何分移動してるかも把握する。
そこまでしておけばまず来た道を間違うことはない。
というかそこまでしないと本気で迷ってしまう。

お金もなく、荷物もなくなれない国で迷子はとても怖い。

そうこうしてるうちになにやらまわりがにぎやかになって来た。
歴史的建造物っぽい建物が見え、地図に書いてあるやつだと思い運転手のおじさんに聞くとそうだと答えてくれた。

やっと自分が何処にいるか把握できた。

そのあとすぐにATMを見つけるが、なぜかカードが利用できない。
今度は銀行に行き、そこでやっとトラベラーズチェックをキップに両替することができた。
10000円分を換金すると大量のお札を渡されとたんに余裕ができた。

そこで運転手にお金を払ったら宿まで送ってくれた。

宿に戻り、荷物をまとめ、地図を確認し早速次の宿へ。
再びトゥクトゥクで行こうとすると早速高額のお金を要求されたので値切る。

そして地球の歩き方に日本人が多く集まると書かれている安宿へ。


着いてすぐおもてのテーブルに日本人4人。

とりあえず「こんにちはー」と挨拶し中に入るとここのスタッフっぽい女の人がいて、すこし日本語も話せたのですぐにチェックイン。


部屋はベット二つに天井に大きなファン。共同シャワー。バナナと水はタダだと言う。日本人が多いから情報交換ノートや日本語の本も多い。

とりあえずたまった洗濯物を表のホースを使って洗う。宿の女の子が魚を洗っていたので代わりばんこで使わせてもらった。

レセプションのとこのいすに腰掛けて早速情報ノートを眺めていると、日本人の男の人が話しかけて来た。
肌は少し焼けていて、何やら人の良さそうな雰囲気の人。

彼は直樹君と言って同じ年だった。彼女と一緒に東南アジアを旅していると言っていた。
ラオスのことや、この宿の決まりなんかを教えてくれた。
もし良かったら昼ご飯を食べに行かないかと誘ってくれたので、ここの周辺のことも知りたかったので喜んで返事をした。

その後、彼女の瞳さんと合流し3人で食堂へ。
フォーやフライドライスがメニューにあり、昼からビールを飲みながらフォーを食べた。

2人ともとてもしゃべりやすい人で、とても楽しく、そのあとも一緒に町をぶらぶらして、日本語学校に連れて行ってもらった。
一緒に授業を聞いたり、生徒に教えてあげたりした。
学校から戻るとき、学生が3人いてそれぞれバイクで来ていたのでそれぞれバイクの後ろに乗せてもらって宿まで戻った。
夕方には早速スコールが降ったりして熱帯に来たなって感じがした。

そのあといったん別れたけど、夜はナイトマーケットが出て、日本人が集まる屋台があるからといってそこにも一緒に連れて行ってもらうことになった。


ネットカフェに行くとそこではツアーの代行もやっていて、内容を見てたら滝壺にダイビングできるものがあったので、明日のツアーにすぐ申し込んでしまった。


夜、直樹くんと瞳さんにつれられナイトマーケットへ行くと、通りの両側にいろんな食べ物の屋台がズーーーっと続いていて、そのすぐ入り口のところに日本人が6、7人でご飯を食べていた。

屋台バイキング形式で、一皿にいくら盛っても同じ値段。
ビールも買ってそこのテーブルに同席させてもらった。
大学生から30歳くらいの人がいて、久々に酒を飲んで盛り上がった。んー楽しい。

2009年9月29日火曜日

やっと、ラオスへ

中国、昆明を17時発の寝台バスで出発。とにかくひた走り、深夜眠りについた。

バスが停車したところで目が覚める。辺りはまだ暗い。時計を見ると5時。
数人の中国人が下車して行く。
こんなに早くラオスに着くはずがないので2度寝。
しばらくすると、うっすらと明るくなり、バスはそのまま停車し続けている。
いい加減なぜ停まったままなのか気になりバスを降りる。
運転手に、ここはどこかとたずねると、「磨了」と言われ、「チケットを見せろ」と言われたので、みせると、「磨了」と書いてあり、「ラオスに行くにはさらに100元必要だ」と言われたので、あわてて近くのATMでお金を下ろす。

どうやらここは中国とラオスの国境の町で、朝が早すぎて入国管理局が空いてなかったらしい。結局そこで4、5時間は停まっていただろうか、初めての出国、入国審査を受け、しかし何事もなくパス。

そのあと、なぜかわからないがまたしても3時間くらいバスは動かず、運転手含めみんなでものすごい田舎の食堂で昼食をとった。
とてもおなかがすいてたので、衛生面には目をつむった。



バスがやっと出発。ようやくラオスに入った。


らおすにはいったとたん、あたりは熱帯の雰囲気を帯び始め、草木が生い茂り、たまに見つける建物は丸太作りの高床式住居みたいな感じ。子供たちは素足。

バスはひたすら走り続け、ついに日は落ち始める。
20時頃停車。
夕食だと言われバスを降りる。
元しか持ってなかったが、さすがに中国の国境に近い場所と言うだけあって、元で支払うとキップ(ラオスの通貨)でおつりを出してくれた。

そこから小1時間でようやく、よーーーやくラオス、ルアンパバーンの街に到着。
もうすっかりあたりは暗くなっていたので、バスを降りて目の前にあったゲストハウスに直行。
そんな高くもなかったので即決。
ちょう疲れていたので別途に倒れ込み、そのあとビールを買いに行き一人で飲んで就寝。

2009年7月28日火曜日

どたばたの中、次の国へ





三日間ラサにいた後、成都に飛行機で一時間半で戻る。(行きは成都から西寧で24時間、西寧からラサまで24時間だったのに・・・)


3日間成都に滞在した後、昆明へ行って、0泊でバスで12時間かけてあの理想郷といわれたシャングリラへ。

しかし、実際行ってみると、そんなでもなかったけど。。期待しすぎ?先にラサに行っちゃったせいで感動が薄れてしまったのかも。


そこに2泊して、またバスで4時間かけてトンパ文字発祥の地、麗江へ。
昼間ついて、旧市街に入ると、京都の細い路地を思い出させるような風情のある石畳の小道。脇には小川が流れ、おばちゃんが洗濯していたりした。
とても美しい赴きある町だった。

「ここのほうがよっぽど理想郷じゃん!!」

と、移動ばかりで疲れていたが夢中で街中散策。


しかし、


日が落ちると町の様子は一変。

町中のレストランが、クラブやキャバレー(っていうのか?)のように、女の人たちのダンスショーやライブで重低音響かせまくり。
そのギャップに心底がっかりした。

どうやら中国人の一部の富裕層が休みにこぞって訪れるらしく、渋谷にいそうな格好の女の子がいたり、やたらみんなデジタル一眼を持ち歩いていた。(しかもやたらフラッシュたきやがて!GRぱくられてめげていた俺。俺によこせ!)

ただ、昼間の町並みは本当に美しかった。

しかし、いいかげんビザの期限が迫っていたので、そこも1泊しかできず、次の日の夜、12時間かけて再び昆明へ戻る。



朝5時、「ダオラー!(着いたぞー)」の掛け声に起こされる。


外はまだ暗い、こんな時間に昆明到着。


こんな時間に到着してどうすんだよ!といらいらしながらもバスから降りると、早速待ち構えていたかのようにタクシーやトゥクトゥクの客引きが。


しかし絶対に乗らない。


朝方呼び込みのタクシーに乗り、宿へ連れ込まれ身包みはがされた人と成都で会っていた僕は早朝の彼らの呼び込みに怒りさえ感じていた。


結局ほんのり明るくなる空の下を30分歩いてゲストハウスへ。


エントランスのソファーで寝かせてもらい、10時過ぎ、スタッフに、

「明日いっぱいで中国ビザが切れる。ラオスにバスで行きたいんだけど明日出発しても平気?」
と聞く。正直ゆっくり一泊したかったのだけど、


「今日出るべきだ!」


と言われてしまった。

ラオスまではまた24時間以上かかるから、明日出発してはビザが持たないらしい。


そんな感じで結局どたばたの中、やっと2つ目の国、ラオスに向かうことになった。

ラサ!チベット!!






西寧につき、駅に降りてすぐ例のおっさんに電話した。

するとすぐ、待ち合わせ場所に現れる。はっきりした顔立ちの意外と男前。黒いが。


カモンカモーンと、有無を言わさず駅から歩いて10分ほどの宿に連れ込まれる。そして二階の一室に連れ込まれ、


「まぁ座れ」


僕はとにかく値段のことが気になっていたので


「ハウマッチ?ハウマッチ??」


としきりにたずねるがはっきり教えてくれない。


話を始める前にニュウさんは(おっさんの名前。牛でニュウ)小さなアドレス帳のような手帳を見せてくれた。中には日本人の名前と連絡先がびっしり。


そのなかに、「鈴木敏夫」という名前が!
まさかと思ったが、すぐ横に「(ジブリ)」
と書いてあった!

なんと、去年、ジブリのプロデューサー鈴木敏夫がニュウさんにお世話になっていたらしいのだ!
このおっちゃんが名前だけならまだしも、カタカナを書けるとは思えない。本当か?!


その後、2人部屋のベットにお互い腰を下ろし、にゅうさんの説明が始まった。

さながらアクション映画の悪い取引をするような低い声と口調でにゅうさんが説明するもんだから、ちょっとこっちもその気になったりして、面白かった。


説明が済むとニュウさんがチケットの手配をしてきてくれて、明日夕方待ち合わせをしてその日は別れた。





次の日




予定より若干遅れてニュウさん到着。

駅の近くまで荷物を担いで持って行ってくれた。


(詳しい部分は自粛します。)


無事ラサ到着。


いやー辛かった!!


結局軽い高山病で、三日しかおらず、しかも大して観光名所も入らず。

でもとにかく空がきれいだった!

さすが世界の屋根!!

2009年7月22日水曜日

ビザ延長、予定にはなかったチベットへ。

みんないなくなり、それでも次から次へと日本人旅行者がシムズに訪れるが、もはやこちらからコミュニケーションをとる気がなぜか失せてしまった。

そんな中でも、なぜかみんな「チベット」へ向かおうとしているという情報が勝手に入ってくる。

まったく興味がなかったのだけど、話を聞いてるうちになんとなく興味がわいてくる。


チベット。


去年の北京オリンピックの際に暴動が起こり、外国人旅行者に対する取締りが強くなる。
基本的に外国人旅行者は「入域許可証(パーミット)」がないと入れない。
そのパーミットを手に入れるにはツアーに参加する必要があって、要するに自由に行動することが許されないのだ。


しかし、そんな状況でもパーミットなしで侵入する人が多数いるらしい。


そこに一人旅の醍醐味を感じてしまったのだ。


シムズにいる間、何人かの日本人と話し、ラサ(チベットの中心地、ダライラマの宮殿がある)へパーミットなしでいくための情報を集めていた。


ある日、ラサから帰ってきた日本人に出会い、その人に情報を聞くと、成都から北へ電車で24時間の所に西寧という町があって、ラサへはそこから電車が出ていて、その西寧に、日本人旅行者をパーミットなしでラサに侵入する手伝いをしてくれるおっちゃんがいるという情報を聞き、名前と連絡先を教えてもらった。


数日後、無事ビザの延長を終えて、西寧へ向かう。

2009年7月20日月曜日

まーだシムズ。別れ。




白酒を飲んだ次の日、さすがに気分悪く昼間でごろごろ。

しかし、今日は翔ちゃんがシムズを出発する日。

エントランスに行くと、みんなおきていて、金さんとさとるクンは展示の撤収作業をしていた。
金さんとさとるくんも明日シムズを出てしまう。

一通り片付けると、翔ちゃんを駅まで見送るためみんなでタクシーで駅へ。



初めて見送る側になったが、結構寂しいものだった。



その後金さんとさとるクンと買い物をして、シムズに戻る。

ちょっとまだ酒が抜けていないので昼寝をした。


しばらくすると、さとるくんが起こしに来てくれた。
マキさんが夕食に誘ってくれたのだ。


四人で夕食。いい時間だった。


宿に戻ると、杏子ちゃんという同い年の女の子に会う。
案の定みんなで卓球。


次の日の朝、金さんとさとるくんを送り出し、みんないなくなってしまった。。

やっぱりみんなで卓球。

まだまだシムズ。公安へ。そして「白酒」。

公安へ。

あさ11時エントランス集合で、結局さとるクンと修ちゃんも着いて来てくれてみんなで公安へ。

女性の警察が対応してくれた。
おれ、つたない英語。翔ちゃん、英語サポート。金さん中国語で、さとるくんベンチ。

ちょっと話し大げさにしちゃったが、何とか話を聞いてもらい、盗難証明書も出してもらえたので一安心。



その日はその後、さとる君は一人市内観光。

俺ときむさん、翔ちゃんでお買い物。

結局その日のうちに電気屋さんでニューデジカメ購入。コダック。翔ちゃんときむさんが値切ってくれた。
2ギガメモリー、ケース付で11000円くらい。

その後アウトドアショップやファーストフード店でお茶しつつシムズに戻った。



シムズに戻り、さとるくん、こおりちゃんと合流。

またみんなでご飯を食べに行く。

明日は翔ちゃんが成都を発つので、みんなで「白酒(ばいじゅう)」52度の酒を1リットル2本開けた。

楽しく酔っぱらった。

シムズに戻り、マキさんに「10元の部屋は安すぎますって!」とかいって絡む。



あれよあれよと、結局朝まで起きていた。



この晩は忘れられない夜になる。

まだまだシムズ。GRデジタル盗まれる。

暇なので、ひとりパンダカードを探しに出かける。

パンダカードとは、1元(14円くらい)で買えて、成都周辺の主な観光施設にタダで入れるようになるというスーパーお得なカード。

それを探し、きむさんや、みんなにあげようと思い、バスに乗り、一人郊外へ。


あー眠い。


さすがに成都に慣れ始め、バスに乗ることも何の抵抗もなくなる。
エアコン付バスはわりときれいだし、快適。


うとうと。


ウトウト…


そんなんしていると、目的のバス停に到着。

観光案内所に入り、思っていた通り、パンダカードの看板が置いてあったので、見てみるが、オール中国語なのでさっぱりわからなかった。

写真にとって、もどってこおりちゃんに見てもらおうと思い、ポケットに手を突っ込むと、そこにあるはずのGRデジタル2が、


ぬぁい。


無。


おもわず「ェエっ…?!?!」

っと、弱く声が漏れる。。


バスに乗る前は確かに持っていた。


ウトウトしちゃったー(;∀;)


いてもたってもいられず、この思いをとにかく誰かに聞いてもらいたい一心で、シムズへ直行。


2階のオープンテラスに金さんを発見し、力なく説明。

金さんに、「それはもう写真を撮るなってことなんだよ」と言われたがそれはちがーう。

とにかく明日、一緒に公安に来てもらえませんか?(金さん中国語ぺらぺら)とお願いする。

その晩、みんなでエントランスで3時くらいまでトランプ。ダウト。かなり盛り上がる。

そんな時間まで仕事してるこおりちゃんに後ろめたい気持ちも持ちつつ大盛り上がり。


あー楽しい。

ビザ延長。しばらくシムズ。

ビザを延長しに公安局(警察署)へ。
バスに乗り、少し歩いてすぐ着いた。

少し手間取ったけど、無事申請終了。



シムズに戻ると翔ちゃんとこおりちゃんがいたので、再び卓球。

そのうち金さんや他のみんなも集まりだし、みんなで夕ご飯。



みんな:金さん。金さんは今回、自身が運営してる展示会プロデュース業の仕事として、四川大震災一周年のチャリティー展をシムズでやるためにここへきていた。

さとるくん、金さんが運営してる会社で働いていて、さとるくんも手伝いに来ている。

レオ、日系カナダ人。色白マッスル。タンクトップで日焼け止めバッチシ。賢いが意外とお茶目。

高木さん、写真家。俺とまったく同じニコンFM3で、世界中を撮り歩く。どこにも定住してないらしいが、日本に彼女がいるって。すげー。

翔ちゃん、カナディアンロッキーをチャリデ走破したり、日本もチャリで断済み。太平洋の海水を日本海に注いだり、今回は中国でもそんなことしてるみたい。今回は地球一周してくるらいい。くるり好き。

こおりちゃん、日本語ぺらぺら。日本が好きな中国人。働き者。「~わよ」と、「やはり」が口癖。


そんなみんなでご飯をてべて、またシムズに戻り、卓球、ビリヤード。

酒も入ってだいぶ楽しかったー。

シムズ沈没注意。

再びsimsへ。

(5月21日)

九さい溝を2日見て、次の日の朝、成都へバスで戻る。
乗る前に、正露丸を飲んでみたが、これが驚くほど効いた。
ほんと、高校に通ってたときも朝のんどきゃよかったと思うほど。


夕方成都に着いたが、九さい溝に向かうときのバスターミナルとは違うところに着いたようで、自分が今いったいどこにいるかわからず、バス停でおろおろしてると、一人の中国人が声をかけてくれた。
彼に地図を見せると、周りの中国人も7、8人集まってきて、「お前はどこへ行きたいんだ?」と、みんなで聞いてきた。

その中の一人の若者が英語で話しかけてくれて、彼に聞いたら自分が乗るべきバスの番号を教えてくれて、どこかへ去っていった。

中国人、困っている人を見つけると助けずに入られない性分なんだろうか。いいやつら。


バスに乗り無事シムズ到着。


レセプションに入るとこおりちゃんはが「お帰りなさい」といって迎えてくれた。




「お帰りなさい」って…  very good!



そのあと、九さい溝で初日に会って以来会えなかった翔太郎さんが声をかけてくれた。

宿のオーナーの奥さんであるマキさんに、ビザ延長手続きのことを聞くと、ビザ期限内に公安局に申請すれば問題ないけど、成都だと1週間近くかかると教えてくれたけど、最近ハードスケジュールだったし、シムズなら落ち着いて過ごせると思い、明日公安に行くことに決めた。


夜、翔ちゃんと飯を食べに行こうと話していると、金さんが、日本人4人を連れてご飯を食べに行こうとしていたので、二人で便乗させてもらい、みんなで夕飯。

シムズに戻り、みんなでビリヤード、卓球。

楽しい!

2009年7月17日金曜日

成都、"SIM'S COZY GARDEN HOSTEL"~九塞溝へ(4)

(注意! 今僕はバンコクにいます!この日記はリアルタイムではありません。四川でブログ更新できなかったせい)

九さい溝二日目の朝。昨日、お世話になったマレーシア人の女性は今日の朝早くに一足先に出発するといっていたので、朝自分も起きて送り出そうと思っていたのに、一度起きたのになんと2度寝をこいてしまい、気づけば彼女のベットは空に…

やっちまったー

と思い、6人部屋で一人声を出してため息。。

あーぁ、と思いながら、貴重品やらガイドブックやら入れてる常時持ち歩く用の小さいバックをみると、なにやら紙がジッパーの口から飛び出している。

なんかのメモだっけ?どか思いながらそれを開くと、なんとそのマレーシア人の彼女が置手紙を残してくれたのだ!

そこには、体に気をつけて的なことと、連絡先、マレーシアに来ることがあれば是非連絡ちょうだいねと。

あーあ、そんなやさしい気遣いの彼女を「2度寝」という超ケアレスミスで見送ることさえできなかった自分にガッカリした。



ガッカリしながらも九さい溝2日目。

再び空は素晴らしく晴れる。

今日はバスチケットは買わず、ひたすら歩く。

ほんとに気持ちがいい。鳥のさえずりと清流の音と生い茂る木々とそびえ立つ剣山。

遠目には少数民族の家屋が見える。

蝶、おたまじゃくし、湖には魚、小鳥。

ほんと、人間だけいなくなればいい。とか思う俺。

とにかく九さい溝は素晴らしかった。

(写真わけあって後日アップ予定)

夜は宿の屋上から星を眺めると、降ってきそうなほどの星空!!とまでは言えないものの、とても綺麗な星空。流れ星。



次の日、7時20分のバスで成都に戻るため、6時に起きて、6時半に宿を出ようとすると、なぜかレセプションがしまってるよ!!

あせる。もちろん扉は開かない。

考えた結果、7時まで待って、それでも開かなかったらデポジットはあきらめてつたない英語で置手紙を残して鍵とともに扉に挟むことに。



はい7時。



置手紙に鍵を添えその場を去る。

割高タクシーでバス停へ。

結局バスは20分ほど遅れて出発。

中国の遅刻事情には慣れることができません。

2009年7月15日水曜日

成都、"SIM'S COZY GARDEN HOSTEL"~九塞溝へ(3)

九さい溝一日目。

ゲストハウスには、電気毛布が敷かれるほど朝晩は冷える。

しかも今朝は小雨。

結局9時頃おきて、寒いながらも外の様子を伺う。



あ~あ、これじゃ写真取る気も起こらないな。



そんな風に思いながらも、歩いて10分くらいの九さい溝入り口へ。

ユネスコ世界遺産、国を挙げての一押し自然公園だけあって、入り口は無駄に広く(というか、中国は基本的にどこも広い)、花がいたるところに飾られていた。

翔太郎さんが、「なんとなーく、入り口の脇から入れば、200元(1元約14円)払わなくても入れたよ」とは言っていたものの、警備員が立っている脇、なんとなく入る度胸などなく、空も晴れてきたし、時間ももったいなく、ご丁寧に3元の保険まで入って正々堂々入場。


最初はバスに乗せられ、公園の奥地まで連れて行かされる。結構長い、バスで20~30分で奥地に到着。

途中にぽつぽつと、しかし目を見張るように美しい湖が行く地もあり、各地点でバスに乗ったり降りたりして観光するシステムということを理解する。
途中、手を上げてバスを止め、乗車してくる客がいた。乗員はバスチケットを確認するそぶりがなかった。
そういえば、翔太郎さんも、チケット買わなくても乗れるといってたのはこういうことか。


終点から、一人歩き始め、観光スポットを目指す。

標識に沿って進むと、はじめに目にした湖は、小さいけど最高に鮮やかな湖だった。


こんなの見たことない。


カルシウムが何やらこんな色にしてるらしいんだけど、理屈云々ではなく、やっぱり人のてが入っていない自然の美しさには背筋をぞくっとさせられる。

次に、バスに乗り少し降りて、別の湖を見る。

とにかく水が超綺麗で、青い。蒼?宝石のように青い。そしてその中に、地殻変動のせい(だっけ?)で倒れた木が何本も倒れていて、湖の中に見えている。

それがまた神秘的な美しさをかもし出していた。




バスで下るのをやめ、誰もいない道を一人歩く。

水が流れる音と、鳥や虫の音のほかには、僕の足音しか聞こえない。


気分最高。


空も綺麗に晴れた。


歌を歌いながら。


しばらくそんな風に歩いてると、物売りのおばちゃんに「そっちから行っちゃダメだよ(たぶん)!」って言われるが、標識も立ってないし、「ちょっとだけ!」とおもきし日本語で叫ぶ。


たいしたこたぁないと思いながら、気にせず歩いてると、なにやら叫び声が。

歩いてきたほうを見ると、九さい溝自然公園のオフィシャルと思われるジープから背広の男が降りて、「戻って来い!(たぶん)」と叫んでいる!

あれー!とおもって、思わず戻るが、そもそもそんな入っちゃいけないんなら、標識くらいおいといて欲しいと逆に不満に思いながらすたすたと戻り、ノートに「進入禁止?」などと書きながら、「我是日本人」と中国語で話しかける。

何か話しかけられるが、よくわからず、結局そのジープに乗せられる。

なんだよーとか思いながら乗ってると、湖のほとりでとまると、写真を撮るジェスチャーをとりながら「写真とってこい(たぶん)」と言ってくれた。

わざわざ観光スポットでとめてくれたのだ。

「シェイシェイ!」といって、写真を撮りに行き、また戻り、再び降りていくと、観光客用バスのところまで連れてってくれた。

笑顔で手を振ってくれた。

結局、中国人、親切な人は本当に親切なのだ。

立ち入り禁止のところに忠告無視で入っていった外国人を、いちいち写真を撮らせるために止まってくれたり、そんなんうれしいじゃないか。


その日の最後はとても美しい滝まで行ったけど、途中で日が傾いてしまったので、次の日はそこからスタートして、再び一日かけて周った。

(九さい溝のチケットは2日使える)

2009年7月12日日曜日

成都、"SIM'S COZY GARDEN HOSTEL"~九塞溝へ(2)

ビザの期限がきになっていたので、すぐにう九さい溝行きのバスのチケットを手配、シムズには3日間の滞在になった。
パンダとかいたけど特に見ずに、朝早くのバスに乗るために早朝チェックアウト。
チェックインの時と同じくこおりちゃんが受け付けをしてくれて、聞いてないのにバスターミナルの行き方とか、いろいろ教えてくれた。
ほんと、中国人は優しい人はとことんやさしい。

ちょっと迷いつつ、道端の人に場所を聞きながら長距離バスターミナルに到着し、バスに乗る。
人はまばらだ。
一番うしろの、5人並んで座る席の左から2番目に座る。左には少し年上くらいの女の人が乗っていた



ここから九さい溝まで10時間。俺にとっては一つの試練が始まる。。。

中学生くらいの時から慢性的な腹痛に悩まされていた(今は悩みではないけど、邪魔な存在)



トイレに行きづらい状態になればなるほどおなかが痛くなり、痛くなったらやだな、と思うとなおさら痛くなる。

中国では電車の中にトイレがあるので行けばなおるからたいしたことはないんだけど、バスとなると身動きは取りづらいし、いつバスがトイレ休憩を取るか分からないし、正直不安だった。

とりあえず朝トイレには行っておき、出発。

最初のうちは外の風景を見ながら何事もなくすごす。


5時間後、昼休憩を取るため、バスが停車。30分くらいの休憩だった。

何かものを食べるとまたおなかが痛くなりそうで嫌だったが、食べないとそれはそれでつらいので、最小限、魚肉ソーセージと菓子パンと水を飲んだ。


バスが再出発し、30分後、やっぱりきた。

お腹がきゅいーっと。

少しだが最初はあんまり痛くないんだけど、こうなってしまうとトイレに行かない限り絶対に、最終的には猛烈に痛くなってしまうのは間違いなかった。

それさえ忘れるほどの何かが起これば治ることもあるんだけど、よっぽどのことがない限りそれは治らない。


しばらく堪えていた。


しかし、次第に痛みは強くなる。


周期的に。


いたい。


どうしよう。


どうにもならなくなる前にどうにかせねば。


1時間くらい耐えたが、冷や汗さえ出るほどに。


どうにかせねば。しかし、直接ドライバーに行く前に、隣の女の人に質問をすることにした。


ノートに、"次停車 何時?" "腹痛" "我要 手洗間"
と書いて見せると、


"分からないわ、ドライバーに伝えるべきよ"

と言われる。そうですよね。


一番後ろの席から、ずーっと前まで歩いていき、助手席に座っている男に

"手洗間!手洗間!"(シーしょうジェン、中国語でトイレ)

おなかに指を刺しながら中国語でイタイイタイ!と伝える。



なにやら運転手に中国語で伝えてくれると、10分位走ったあとに止まってくれて、こっちだと言ってトイレに連れてってくれた。

周りなどみえません。

必至になってトイレに駆け込むと、"ニーハオトイレ"

扉はなく、腰ぐらいまでの隔たり、そして自分で水を容器にくんで、勢いよく流すヤツ。


そんなものお構いなし。極限まで溜まってたものをブリーっと。(汚くてすいません)




ハー.....




おなかの痛み、寒気、すべてリセットされた。

意気揚揚とバスに戻り、女性に"謝謝"というと、"OK"

と、英語で返される。

あれ、中国人じゃないの?


と、疑問に思ったが、そのまま出発。

バスの中で彼女は中国語で日記をつけていた。

2時間くらい走ると、崖っぷちでバス停車。


外に出てみると、その先にがけに落ちかけるトラック。


それのせいで前に進めなくなってしまったのだ。


風景を眺めていると、隣に座っていた女性もバスから降りてきたので、あいさつをして、さっきはありがとうございましたと、英語で伝える。

すると、片言だけど日本語で話してきた。


聞けば彼女はマレーシア人で、ひとり旅をしていて、中国語もできるんだという。


15分くらいでトラックはショベルカーに引っ張り挙げられ、再出発。


そこから2時間くらいで九さい溝入り口にきた。


そこで降りて、彼女にありがとうというと、今日の宿は決めてるの?と言われ、予約しているので、電話すればピックアップがくるんだと伝えると、代わりに電話してくれるという。

喜んで電話番号を教え、電話してもらい、バスの待ち合い所に行くと、シムズで知り合った翔太郎さんがいた!

黄龍行きのバスチケットを会買いに来んだと言う。
これから宿に行くというと、たぶん近くの宿だから僕も乗せてってよと言われ、3人で車を待った。

そのあと迎えの車が来て、3人で乗車。
翔太郎さんの宿は予想通り真横だった。

マレーシア人のその人と宿に入り、結局その人も一緒にチェックイン。ドミトリーだったので、同じ部屋になり、夕飯もつれっていってもらい、中国語のメニューを英語で説明してもらったりしてとても助かった。


九さい溝の夜はとても寒い。

2009年6月27日土曜日

成都、"SIM'S COZY GARDEN HOSTEL"~九塞溝へ(1)



西安を後にし、電車で24時間、成都に向かった。
いいかげん、電車には慣れたが、とにかく24時間回りは中国人だらけだと、日記と読書だけではどうしても暇になる。なのでただただ外をながめている。

生徒に到着したのは朝の6時。駅の外に出ると、予約していたゲストハウスのネームプレートを掲げたおっさんが立っていた。

駅前で客寄せタクシーなどにのって、まんまと追いはぎに会うことがあるいう話を何度も聞いていた俺は、危機感を察知し、まさかそんなうまい具合にピックアップ来てねえだろうと思って、歩いて宿へ。

そんな遠くないだろうと思っていたが、中国の地図のスケールは日本とはちょっと違った。
結局重いバックパックを持ったまま30~40分歩いて何とか到着。

へとへとになりながらレセプションにつくと、かわいらしい女の子が「スズキサンですか?」と声をかけてきた。驚いて、「あ、そうです。」と答えると、「ナニできましたか?」とき聞かれたので、「歩いて」と言うと、「歩いて?!」と驚かれてしまった。
どうやら西安の友達が予約してくれたときにピックアップの話もあったようなのだが、俺が疑いすぎてしまったようだ。

朝早かったので、部屋が用意できていないので、庭で待っててくださいと言われたので、奥に言ってみると、とても開放的で、素敵な庭があった。
ビリヤード代や卓球台も置いてあり、とても居心地のよさそうなところだ。


昼寝をして、少しに庭でゆっくりした後、一人で夕食を済ませ、また庭の横の竹のような素材でできたリラックスチェアで休んでいたら、すぐそばで休んでいた男の人に話しかけられた。
金さんといって、仕事でシムズに来ているそうだ。

その後金さんに連れられ、シムズのバーの中二階に行くと、ほかの日本人の男の日と3人と、今朝受付をしてくれた女の子が話していた。

そこで九さい溝の情報を聞いたりして、少しだけ話をした後、下に下りて、卓球をした。

受付をしてくれた女の子は、夜勤の仕事らしく、11時過ぎに仕事に行き、その後も日本人5、6人と、欧米人とで朝の4時くらいまで卓球やビリヤードで遊んでいた。

2009年6月26日金曜日

再び西安へ、それから落陽、シャン(山カンムリに高)山





これから九塞(土じゃなくて木)溝に行くためには、また西安に戻ってくるべきだと、西安でできた中国人の友達にアドバイスを受け、北京から西安に戻る。

駅に着くと、これないといっていたはずの友達が、ネームプレートを掲げていて待っていてくれた。
来れないんじゃなかったの?と聞くと、イッツ ア サプライズ!といってくれた。

その後、彼女が働いているYHにチェックインすると、昼ごはんを食べに行こうと誘ってくれたが、なぜか見知らぬ中国人の若者二人も同行した。
なんだか知らないけど、学生らしい。

そのあと一度ホテルに戻り休んだ後、もう一人の友達と再会し、夕食を食べに行った。
そこで、明日から3日間、落陽とシャン山にツアーに行かないか?と誘われた。
どうやら今日、昼一緒に食べた彼ら学生たちのツアーにどういうわけか知らないが同行させてもらうようで、そこに俺もつれってってくれようとしてるらしい。

急な話なんでちょっと考えたけど、せっかくなので一緒についていくことにした。



次の日、友達が迎えに来てくれて、その後電車の切符を買ってきてくれて、駅の前で待ち合わせした。
駅の前で待っていると、なにやら中国人の若者がだんだん集まりだして、結局35人くらいの学生たちと電車で洛陽まで向かうことになった。

どうやら、その学生たちが研修旅行で西安に来て、泊まったホテルで受付をしたその友達が先生と仲良くなり、今回のツアーに参加させてもらえることになったらしい。


電車に乗ると、向かいの席と、隣の席に女の子の学生が座ってきた。
みんな少し英語がしゃべれるようで、英語で少し会話した後、ノートに漢字で筆談を始めたら、15人くらい集まってきて、大盛り上がりした。

とにかくみんなあかるくて陽気で、日本語でウォーアイニーはなんていうの?ときかれたので、
アイシテルと教えるとしばらくみんなお互いにアイシテルの言い合いになったりして、なんだか可愛かった。

洛陽では雲南石窟をみて、ソン山では本場の少林寺を見たけど、なんだか商業的な雰囲気でまくりであんまりよくなかった。

3っ日間、朝ご飯から一緒に学生たちと過ごし、中国の同じ世代の人の生活ぶりが垣間見えてなかなか貴重な体験ができた。

昼飯夕飯はうまかった!

学生たちとはそこでお別れして、一度西安に戻ってから、やっと次の町、成都へ向かうことになる。

2009年5月7日木曜日

"shiawase" toha


"shiawase"toha, jibun, kazoku, tomodachiga kenkoudearukoto.
nihon wo hanareru to sorezore ga kakaeteiru kojintekina mondai wo mushishite, "minnaga kenkou deareba shiawase"nante migatte kamo shirenai.

soredemo, hitori ikokuno chi de, mawariha nanisyabetteruka wakaranai jyoukyou, hara mo mitasare, kokochiyoi kaze no hukinukeru utsukushii hoteru no nakaniwa de bonyari shiteru to mujyouken ni kouhuku na kimochi da.


konotabi de 2tsu no baggu wo motte aruiteiru.
hitotsu ha ookina, huku ya hudan mochiarukanakute iimono wo ireteiru.
mouhitotsu ha, chiisakute, saihu ya gaido book nado, tsuneni hadami hanasazu mochiaruku baggu da.

sakki hoteru no nakaniha de suzuminagara chiisana baggu no nanini tsukaundaka yoku wakaranai semai supe-su ni nanigenaku te wo tsukkonde iru to, nanika ga teni hureta.
tagu ka nanikakato omotta ga, soujya nasasoudattanode, hippattemiruga nakanaka nukenai.
tyotto chikarawo irete hipparuto, hosoku oritatamareta huutou ga detekita.
soreha teineini oritatamareteite, rouhajiwo serohante-pude shikkari tomerareteite, hajikkoni ryoumente-pu ga tsukerareteita. sonosei de nakanaka torenakattanoda.
yokumiruto, "buji ni kaeru koto wo inotteimasu"to haha no ji de kakarete ita.
akete miruto nakaniha 10,000satsu 1mai ga oritatande ireteatta.

tyotto, naita.

bujini kaette kaesou to kimeta.

2009年5月6日水曜日

THE GREAT WALL





kyou ha asa kara TOUR wo kunde, BANRI-NO-CHOJYO he itta.

PEKIN ni kite, TENANMON ya SHIKIN-JYO toka mitakedo, maa ookiikedo,sokomadeno odoroki ha nakatta.
CHINA ha kihontekini hiroi=monogadekai node, naretekiteshimattano kamo shirenai to omotteiru.

shikashi, BANRI-NO-CHOJYO ha kurabemono ni naranai hodo datta.

zentyou 6000km. sonouchi 8km wo kyou ha aruita keredo, areha michi jyanai.
saka to kabe wo kudattari, nobottari, kanari HARD datta.

shikashi, sono totyuu niha, CHINA no ossan, obasan ga, mizu ya jyuusu wo hakonde kite, kankoukyaku ni utteirunoda. jibetani suwatte, hurushinbun no ue ni nomimono wo narabete.
kyuukei shiteru toki ni katatega nai obasan ni cola wo susumerarete, "kokomadehakondekitandayo, onegai, katte" to iwarete, maa nodo mo kawaiteitanode, 75en de katta. kan no hyoumen ha kosuriattaseika, kanarihageteite, syoujiki eiseiteki toha ienakattaga, tissyu de nomikuchi wo huite nonda.

kekkyoku, entenkanonaka,3~4jikan kakete, arukikitta. totemo tsukaretakedo, tottemokimochiyokatta.

saigoha,ke-buru 1pponni tsunagareta tyuuburarin de, shitamade ikkini orita!
kimochiyokatta!

2009年5月4日月曜日

PEKIN DUCK!!




PEKIN-2nichi-me.

kyou-ha, yuugata-ni, mae-no-kaisya-no-osewa-ni-natta-jyoushi-no-TOKUTAKE-san-to-auyakusoku-wo-shite-ita.

hiruma-ha-tonikaku-atsui-node,9ji-ni-ichido-okita-kedo, asa-gohan-wo-tabeta-ato,13ji-kurai-made-hirune-wo-shita.

sono-ato, toriaezu-TEN-AN-MON-wo-miniitta-kedo, tonikaku-atsuishi, onakamo-suita-node, depaato-no-chika-de-HOTDOG-wo-tabete, hon-wo-yominagara-jikan-wo-tsubushita.

yakusoku-no-jikan-no-10hun-mae-ni-hoteru-no-robii-de-matte-iruto, pittari-5ji-ni-TOKUTAKE-san-ga-kita.

dannasan-no-HIROO-san-to-3nin-de-resutoran-ni-tsuretette-moratte, goukanaryouri-wo-tabeta.
PEKIN DUCK-mo-tabeta. oishikatta!sugee-jyuushii.
soreto, TOUCHOU-UURONTYA-wo-nonda-kedo, korega-mata-umakatta. TAIWAN no-otya-da-souda.

sonoato, hankagai-ni-tsureteitte-moratta-kedo, sokono-kyakuhiki-no-gouin-sa-ni-bikkuri-shita. tyokusetsu-ude-wo-tsukande-hikikomou-to-surunoda.

saigo-ni-HAGENDATSU-de-otyawo-shita.
HIROO-san-to-TOKUTAKE-san-ha-totemo-sekai-no-rekishi-ni-kuwashikute, ironna-hasnashi-wo-kikasete-kureta.

monogoto-wo-mujyouken-ni-shinjirukoto-ha-AKU-da.
motto-sekai-wo-shiritai-to-omotta.

2009年5月2日土曜日

I like you




4/30
TERA-KOTTA-ARMY-MUSEUM-wo-mirutame-ni,hoteru-no-furont-de-basu-no-norikata-wo-kiite,1ji-goro-Xi'an-eki-kara-tyoukyori-basu-ni-noru.

kotoba-ga-tsuujinai-nagaramo-nantoka-koutsuu-kikan-wo-tsukaikonasu-to,odoroku-hodo-no-yasusa-de-idoudekiru-kotoni-kiduku.

1jikan-hodo-de-toutyaku-shi,omona-ishekidake-sararitomite-1jikan-kuraide-basu-ni-modoru.

kinou-deatta-Wang jin-no-youth hostel-ni-17ji-ni-iku-yakusoku-wo-shiteita-karada.

shikashi.mou-sudeni-16ji-wo-mawatteita.

basu-ha-sugu-ni-hassha-shitaga,kurutoki-toha-mattaku-chigau-michi-wo-hashirihajime,dondon-hosou-sarete-nai-michi-wo-susumu.
soredemo-nantoka-Xi'an-eki-ni-tsuita-ga,2jikan-mo-kakatte-shimatta.

suguni-rosen-basu-ni-nori,nimotsuwo-matome,Wan-no-iru-hotel-wo-mezasu-ga,DAI GAN TOU-no-chikaku-to-iu-dake-de,kuwashii-basyo-ga-wakaranai...

sokoirahen-no-hito-ni-kikuga,zenzen-miataranai.
atarimo-kuraku-narihajime,huanninattekitatokoro-de-yatto-omawarisan-wo-mitsukete-tazuneru-toto,sugoi-miburiteburi-de-oshietekureta-node,sorewo-shinjite,massugu-ikuto,yatto-hoteruwo-mitsuketa.

mou-8jikuraidatta.
nakanihairuto,suguni-Wan-wo-mitsuketa.
katakotodakedo,eigode-okuretawake-wo-hanasuto,warattekiitekuretanode-hottoshita.
11ji-ni-shigoto-ga-owaru-toiunode,yuuhan-wo-tabeta-ato-ni-au-yakusoku-wo-shita.
sonoato,Wan-ga,youth hostel-no-DM-no-design-wo-shite-hosii-to-ittekita-node,ironna-hanashi-wo-shita.
ashita-no-asa-issyo-ni-syashin-wo-toru-yakusoku-wo-shite-heya-ni-modotta.


5/1
asa-Wan-to-yakusokudouri-fronto-de-atta.shikashi,kanojyo-ha-mewo-harashite-ita.
kyou-dokoni-ikouka-kangaeteiru-to-iuto-kanojyo-ga-kouenn-ni-tsureteitte-kureru-toiunode,hutaride-kouen-wo-aruki,ra-men-wo-tabete,kanojyono-youji-ni-tsukiai,sonoato-Teng fei-to-ochiai,sannin-de-machi-wo-aruita.

karera-ha-hontouni-shinsetsu-de,boku-ga-yoru-ni-noru-shindaisya-no-nakade-taberu-mono-wo-kaini-ikou-to-teian-shitekurete,sonoato-yuuhan-ni-sasotte-kureta.

densyano-jikana-ga-semattekitanode,sukoshi-huan-ninari,soudan-suruto,Wan-no-tomodachi-ga-kuruma-de-ekimade-okutte-kureru-to-itte-kureta.

totemokangeki-shite,nakisou-ni-natte-shimatta.
karera-niha-hontouni-kansha-shite-iru.

wakaregiwa,karerea-ni"I like you. 再見!!"to-itte-wakareta.

2009年4月29日水曜日

subarasiki YH!!!!!!



jyunwo-otte-kakouto-omottakedo,iroiroarisugite-kakukotoga-oitsuite-ikanakunattekita.
hutsukame,karaha-YH(youth hostel)ni-tomarihajimeta.
kokodemo,uketsuke-de-taiou-shitekureta-onnanokoha-totemo-shinsetsu-de,yasashikatta.
yahari,tyugoku-no-jyosei-ha-yasasii!


tsuginohi-28nichi-ha-yukkuri-sugosou-to-omotteita-node,YHkara-amari-hanarenai-hani-de-hurahura-shiteita.

yuugata,syappai-sukoshi-ha-tyugoku-gono-benkyou-wo-suru-beki-da-to-omoi,hitori-freedesk-de-benkyouwo-shiteitara,chekku-in-kaunta-ni,nihonjinga-yatte-kita!
syaberikata-de-nantonakuwakatta.
karehatoiu-namaede,ikken,28sai-tkutrai-dato-omotte-itaga,tsugino-hi,23sai-toiu-kotoga-hakaku-shi,kanari-ougoe-wo-agete-odoroita.

shikashi,kare-to,nihongo-de-hanaseta-okagede-totemo-rakuninatta.



tsuginohi(29nichi)
asakara,tokutake-san-ni-PEKIN-de-au-tameni-densya-no-chiketto-wo-torini-itta.
buji,kounyuu-suru-koto-ga-deki,sonoato,1jikan30hunkurai-kakete-aruite-DAIGANTOU-wo-miniitta.

hakuryoku-ha-attakedo-kankouchika-ga-susumi,tatemonono-naka-mo-nanndomo-syuurisita-seide-naibu-niha-gakkari-shita.


zakkuri-mawari-wo-mita-ato,hajimete-TAXI-ninotte-YH-ni-modoru-to,Gou-ga-suwatteite,hanashikaketekureta.
soshite,kareno-tonariniha-SHIAN-ni-sundeite-shikamo-shinai-no-betsu-no-YH-dehataraiteiru-otoko-no-hito-to-onnano-hito-wo-syoukai-shite-kureta.

karera-toha-suguni-nakayoku-natta.
4nin-de-banmeshiwo-tabeni-miseni-hairuto-kankoku-dorama-kaomake-no-sankakukankei-no-motsure-ni-yoru-daisanji-ga-kurihirogerareteita.

sonogo,yoninde-nonde,rondonsyusshin-no-ikemen-to-biriyaado-wo-shite,tsugiha-sono-tomodachi-ga-hataraiteiru-YHni-tomarini-iku-yakusoku-wo-shite-kaetta.

yatttttttto,tanoshiku,natte-kita!!!!!!!!!!!!

2009年4月28日火曜日

SHI-WO-ISHIKI-SURU


26nichi
kinai-ha-kesshite-kaiteki-deha-nakatta.
hajimete-no-kokugai-no-koukuugaisya-toiukotoya-shirisugita-hibiokoru-koukuukijiko-no-seide-itsunomanika-hikouki-ni-sukunakarazu-kyouhu-kan-wo-oboeteita.
motiron-bijini-owatteiruga-kinai-deha-kitai-ga-yureru-tabi-toka-kurdaranaikedo-sonnaomoibakari-yogitteita.

soukousiteiruuchini-keiyu-chi-no-SHANHAI-ni-tsuku-to-nihongo-wo-syaberu-onnanoko-wo-mitsuketa.

tokuni-hanashikakeru-tsumori-ha-nakatta-ga,tsugi-no-hikouki-madeno-yusoubasu-ni-noruto-menomae-ni-noriawasetanode,to-hanashikaketa.
suruto,to-ryuutyou-na-nihongo-de-kaesare,issyun-henjini-tsumarinagaramo-hanashiwo-shita.

kanojyoha,nihon-no-daigaku-wo-dete,sonomama-nihon-de-syuusyoku-sitarashiku,tyoudo-tyuugoku-ni-kisei-surutokoro-datta-noda.shikamo,shiian-ni.

kanojyo-ha,ikinarihanashikaketa-nimo-kakawarazutoitte,keitai-no-adoresu-wo-oshiete-kureta.
sonoueto-hanasuto,to-ittekureta.

kekkyoku,kurumade-hoteru-made-okutte-morainagara-machino-syoukai-made-shite-kureta.

katakoto-no-eigo-de-chekku-in-wo-sumase,toriaezu,tabi-no-syonichi-wa-buji-owatta.