2009年11月12日木曜日

チュービング!!






バンビエンに入ってからぐずぐずした天気が続く。


ある日、宿のネットを借りていると、トップページに

『Michael Jackson』の文字が。

まさかと思ってyahooを開くとマイケル死亡のニュースが!!!





このまちの真横(真横って言うのかな)にはナムソン川というメコン川の支流が流れてる。

黄土の混じりまくった、かなり微生物が多く泳いでそうなこの川では、「チュービング」と言う遊びが有名。

日本でラオスに行った友達は、バンビエンに行ってチュービングをしなかったらラオスに行ったことにはならないとまで言っていた。


話を聞くと実に楽しそうなので、ぜひやりたいと思っていたけど、あいにくの天気が続き、なかなか思い切りが着かずにいた。

しかも、とにかく欧米人が多いため、一人で参加するのもあまりテンンション上がらないと思い、天気がよくなるため日々気の合いそうな日本人探しをしていた。


そんな感じで、何もしないまま日々を過ごしながらある日一人で昼食を食べていると、ルアンパバーンで一日だけ一緒だったマイコちゃんと言う女の子が声をかけてくれた。


1日2日前からこっちに来ていたらしい。


しばらく二人ではなしていると、今度はマイコちゃんが以前タイからバンコクに川をこえてくる途中一緒になった夫婦に遭遇し、4人で話をしていると、さらにマイコちゃんの顔見知りの男の子が来た。


しかもその夫婦は昨日すでにチュービングをして来たらしく、その楽しかった体験をやや興奮気味に話してくれた。

しかも一回では飽き足らず、もう一度行きたいと話していたので、最初は乗り気じゃなかったマイコちゃんも含め次の日みんなで
行くことに決めた。





翌日、集合時間にやや遅れたが、みんなでチュービングへ。


受付を住ませると、ソンテウと言うトラックの荷台に屋根をつけただけの乗り合いタクシーで上流へ。


スタート地点に着くとそこにはターザンジャンプ台からアクロバティックに飛び込む欧米人、それを酒を飲みながら見物し、ハイテンションな欧米人の人だかり。



ターザンジャンプは大きな木に板で作られただけの3メートルくらいの高さに作られた台から、サーカスの空中ブランコみたいなぶら下がり棒に捕まりロープを伝ってすべり落ちる、結構大掛かりなものだった。



かなり楽しそうだけど、落ちて少しでも水を飲んだらヤバそうだったのでしばらく見てると、同行した大学生の男の子が飛びに行った。

その後夫婦で来ていただんなさんも行き、結局俺も我慢できなくなりジャンプ。

思いっきり鼻と口をつまんで着水。

一瞬だったけどとても楽しい!!



その後、ついにチュービング。



ジャンプ台の真下で、トラックのタイヤの中のチューブにはまるようにしてすわり、そのまま流される。

これがチュービング。



途中、ジャンプ台のような場所があり、手を振るとひも付きのペットボトルが投げ込まれ、それをたぐり寄せて上がって行くと、ビールが買える。
そこでビールを買うとさらにジャンプできるという仕組み。



あいにくやらなかったが、くもっていながらも本当にドラゴンボールのような、中国の水墨画のような景色の中、黄土で濁りまくった川をひたすら流される。




ゴール近くの川には中州があり、川は二手に分かれている。

そこを左に行けば受付に戻れるはずだったが、その情報を聞いたときは時既に遅し、完全に右の方に流されだしていた。


何とか左に行くべく、浮いてた竹の幹をつかんで漕いで見るが、自然の力には歯が立たず、そのまま一人、右へ。




どうしようかと思ったが、しばらく流され、川沿いに民家がや宿が並んでいて、男性が二人いたので、冗談で



「ヘルプミー」


と手をふると、


「大丈夫ですか?」


と日本語で返されてしまったので、つい「大丈夫です」


と返してしまった。




そのしばらく先に何とか這い上がれそうなところが会ったので、自力で左に寄って行くと、今度は地元の子供達が飛び込んで遊んでいた。


彼らに手を振って、助けを求めると、六人くらいがまとめてよって来て、チューブに手をかけ、一緒に流れる。


その後みんなで引きずりあげてくれ、チューブをはこんでくれて、手を貸してくれた。


サンキューと言うと、一斉に「マニー!マニー!」といわれてしまって、持ってないと言ったけど、もし持ってたら是非あげたいと思った。



そのあと無事みんなと再会し、夜はみんなで野外ステージのあるバーに出向き、欧米人達と半裸で戯れた。

次の町、ルアンパバーンへ



もう一日ルアンパバーンで過ごし、さらに次の日の朝、次の町バンビエンへ長距離バスで向かった。



バンビエンに近づくにつれ、中国では見られなかった、ドラゴンボールに出てきそうな風景が広がり始めた。

6時間かけて到着。

地球の歩き方を見ながら宿を探すが、どうにも宿が見当たらない。

仕方なく同じバスに乗って来たカナダ人の男性に聞くが、やはり彼もよく分からない様子。

すると誰かが自転車で通りがかった欧米人に尋ねると、最近バスターミナルが移設したようで、地図とは違う場所にいると言うことが判明し、そこからみんなで20分ほど歩く。




しばらくすると、ラオスに入ってからは見かけなかったユースホステルを見つけ、そこのドミトリーに今夜の宿を決める。


荷物を降ろし、とりあえず町を散歩すると、とにかく欧米人が多いことに戸惑う。


夜はインド料理屋で一人でナンを食べた。


食べ終わる頃にスコールが降り始め、ものすごい音を立ててふっていた。


そんな雨の中酒に酔った欧米人たちがテンションが上がっちゃったみたいで大声を上げながら歩いている。


そんな光景を見ながら雨のやむのを待っていると、別の席にいた日本人の男の人と女の人に呼ばれ、テーブルを移動した。


30半ばくらいの二人で、男性はルアンパバーンに住んでいて、ここでレストランバーを経営しようと思っているらしい。


ビールをごちそうしてもらって、少しはなしをしたけど、男性はなんだか機嫌が良くないらしく、あまり会話は盛り上がらず、小一時間で宿に戻った。


ドミに戻ると、欧米人の二人組が寝ようとしていたが、何ともテンションがおさまっていない様子だった。
一人でこそこそ寝ようと思ったけど、最近流行りの変な葉っぱやってんじゃないかと思い、からまれてもつまらないと思ったので、急遽独り部屋に移してもらった。


移してもらった部屋は独り部屋にしてはそんなに値段も貼らず、ファンや、小さい照明、シャワートイレも着いていたのでかなり快適だった。

2009年10月8日木曜日

九さい溝の写真






前に書いた中国、九さい溝の写真です。

2009年10月7日水曜日

小さな奇跡



ラオス3日目は、昨日申し込んだ滝壺ツアーへ。

朝宿の前までツアー会社のピックアップが来て、そのあと何カ所か宿を回り、最終的に欧米人たち6人と一緒にウォーターフォール(つまり滝)ツアーへ出かけた。


町からツアーバスで1時間くらい走ったところにきれいな滝がいくつかあり、そのなかの何個かは滝つぼに飛び込めるようになっている。

バスは町(というか村)を出発してから1時間以上走った。
途中、昨晩一緒に飲んだ日本人達がソンテウという大型のトゥクトゥク見たいな乗り物で前を走っていて、追い越して行った。


バスで入口まで行き、チケットを買って中に入っていくのだが、入る前に一人で昼食をとっていた。
すると一人の韓国人が英語で話しかけてくれて、一緒に行こうと誘ってくれた。

一緒に食べているとさっき追い越した日本人達が到着して軽く挨拶して彼らは先に入って行った。


韓国人の彼とご飯を食べて一緒に中に入っていく。
英語ですこし会話をすると、彼は自転車で旅をしているらしい。

一緒に滝に入り、写真を撮ってくれたりした。

アドレスを教えてくれて、韓国に来ることがあれば連絡してくれと。

滝壺はとてもきれいな水色をしていた。先に何人かの欧米人達が滝壺で泳いでいた。
滝壺に張り出した木の幹にはロープがくくり着けられていて、そこからみんなターザンジャンプをして遊んでいた。

俺も何回か飛んだ。久々に体を思う存分解放できてすごく楽しかった。


そこで、水中で写真を撮れるために日本で買ったドコモの防水携帯電話を水中に入れて撮ったりしてたらまんまと故障。。。



滝の後は、小さな集落を一周させられたが、子供たちにお土産買って行ってとたかられ、いい気分はしなかった。



滝から変えると、滝壺の入り口で会ってから中では会えなかった日本人達と再会し街の中心にある小高い丘に登り夕日を見てから夜は再びナイトマーケットの屋台に集合。

直樹くんと瞳ちゃんは昨日帰ってしまったけど、今日は昨日以上に人が集まりたくさん飲んでとても楽しかった。


俺と同じように一人旅をしてる人、会社の休みをとって1週間だけ休みを取って来た人、休学して来た人、オーストラリアでワーホリを終えて東南アジアによって来た人、そんなバラバラに旅して来た人たちとラオスの小さな町で偶然出会って、1晩、2晩で笑いながら飲むと言うのは、勝手にテンションが上がってしまう。こんな出会いも奇跡だ。

ラオスは日本人がいっぱい





ラオス2日目。

自分がラオスのルアンパバーンに着いたと言う事実は、昨日乗って来た中国からの長距離バスから降りるときに添乗員のおっちゃんに、

「ヒアー イズ ルアンパバーン?」
「イエス!」

と確認した事実のみ。

そして僕はここがルアンパバーンのどこらへんなのか、まったくわからなかった。地球の歩き方の地図を見てもどうやら地図外のようでわからなかった。

しかし僕はどうにかしてチェックアウトまでに現在地を把握したかった。
今日中には地球の歩き方に書いてある日本人が多く集まる安宿に移りたかったからだ。

ノービザでラオスにいられる期間は15日間。短い期間で移動するには早いとこ日本人に会って、ラオスの特徴などの情報を聞き出した方が効率よく旅ができると思ったので、とりあえず9時に宿を出て、歩く。

地図には川や、歴史的建造物、大通りの名前が書かれていたので、とにかく市街地へ出れば自分が何処にいるかわかると思たので歩く。

さらに、現地通貨がないので、キャッシュカードが使えるATMを探す。

自分が何処にいるかがわかっていて、お金を持っていればとりあえずのんびり旅を味わえるけど、その二つ、特に現地通貨がないとかなり不安になる。

12時までにチェックアウトもしたいので少し焦る。ただ空はとてもきれい。町もいい雰囲気。


少し歩いてると「EXCHANGE」の看板を発見して、ここでトラベラーズチェックがキップに換金できるかと思って少し喜びながら入って行き、英語をしゃべれるスタッフを呼んでもらい、トラベラーズチェックを換金してもらえるか聞くとここではできないから銀行へ行ってくれと言われた。
それじゃあここはどこ?と地図を見せながら聞くけどなんだか良くわからない。
しばらく話していると、そとにトゥクトゥクがいるから、そいつに銀行まで連れて行ってもらえと銀行の名前を聞き、そこを出た。

出て宿の方に戻るように歩き始めるとすぐにトゥクトゥクを見つけ、見た目人の良さそうなドライバーを選ぶ。
銀行まで連れてってほしいことを地球の歩き方に書いてある数少ないラオス吾を交えながら説明するとおじさんは出発し、今来た道を戻り始めた。

そして宿を通り過ぎる。

ここから僕は必死に道順を覚える。

なぜなら方向音痴だから。

どこか道を曲がれば、曲がったあとすぐに後ろを振り向きその風景を記憶する。
曲がったのを覚えていても、帰りの風景は違うのでその風景を見とかないとわからなくなってしまうからだ。
さらに地図を確認しながら特徴的な建物や、道路の名前を確認し、何分移動してるかも把握する。
そこまでしておけばまず来た道を間違うことはない。
というかそこまでしないと本気で迷ってしまう。

お金もなく、荷物もなくなれない国で迷子はとても怖い。

そうこうしてるうちになにやらまわりがにぎやかになって来た。
歴史的建造物っぽい建物が見え、地図に書いてあるやつだと思い運転手のおじさんに聞くとそうだと答えてくれた。

やっと自分が何処にいるか把握できた。

そのあとすぐにATMを見つけるが、なぜかカードが利用できない。
今度は銀行に行き、そこでやっとトラベラーズチェックをキップに両替することができた。
10000円分を換金すると大量のお札を渡されとたんに余裕ができた。

そこで運転手にお金を払ったら宿まで送ってくれた。

宿に戻り、荷物をまとめ、地図を確認し早速次の宿へ。
再びトゥクトゥクで行こうとすると早速高額のお金を要求されたので値切る。

そして地球の歩き方に日本人が多く集まると書かれている安宿へ。


着いてすぐおもてのテーブルに日本人4人。

とりあえず「こんにちはー」と挨拶し中に入るとここのスタッフっぽい女の人がいて、すこし日本語も話せたのですぐにチェックイン。


部屋はベット二つに天井に大きなファン。共同シャワー。バナナと水はタダだと言う。日本人が多いから情報交換ノートや日本語の本も多い。

とりあえずたまった洗濯物を表のホースを使って洗う。宿の女の子が魚を洗っていたので代わりばんこで使わせてもらった。

レセプションのとこのいすに腰掛けて早速情報ノートを眺めていると、日本人の男の人が話しかけて来た。
肌は少し焼けていて、何やら人の良さそうな雰囲気の人。

彼は直樹君と言って同じ年だった。彼女と一緒に東南アジアを旅していると言っていた。
ラオスのことや、この宿の決まりなんかを教えてくれた。
もし良かったら昼ご飯を食べに行かないかと誘ってくれたので、ここの周辺のことも知りたかったので喜んで返事をした。

その後、彼女の瞳さんと合流し3人で食堂へ。
フォーやフライドライスがメニューにあり、昼からビールを飲みながらフォーを食べた。

2人ともとてもしゃべりやすい人で、とても楽しく、そのあとも一緒に町をぶらぶらして、日本語学校に連れて行ってもらった。
一緒に授業を聞いたり、生徒に教えてあげたりした。
学校から戻るとき、学生が3人いてそれぞれバイクで来ていたのでそれぞれバイクの後ろに乗せてもらって宿まで戻った。
夕方には早速スコールが降ったりして熱帯に来たなって感じがした。

そのあといったん別れたけど、夜はナイトマーケットが出て、日本人が集まる屋台があるからといってそこにも一緒に連れて行ってもらうことになった。


ネットカフェに行くとそこではツアーの代行もやっていて、内容を見てたら滝壺にダイビングできるものがあったので、明日のツアーにすぐ申し込んでしまった。


夜、直樹くんと瞳さんにつれられナイトマーケットへ行くと、通りの両側にいろんな食べ物の屋台がズーーーっと続いていて、そのすぐ入り口のところに日本人が6、7人でご飯を食べていた。

屋台バイキング形式で、一皿にいくら盛っても同じ値段。
ビールも買ってそこのテーブルに同席させてもらった。
大学生から30歳くらいの人がいて、久々に酒を飲んで盛り上がった。んー楽しい。

2009年9月29日火曜日

やっと、ラオスへ

中国、昆明を17時発の寝台バスで出発。とにかくひた走り、深夜眠りについた。

バスが停車したところで目が覚める。辺りはまだ暗い。時計を見ると5時。
数人の中国人が下車して行く。
こんなに早くラオスに着くはずがないので2度寝。
しばらくすると、うっすらと明るくなり、バスはそのまま停車し続けている。
いい加減なぜ停まったままなのか気になりバスを降りる。
運転手に、ここはどこかとたずねると、「磨了」と言われ、「チケットを見せろ」と言われたので、みせると、「磨了」と書いてあり、「ラオスに行くにはさらに100元必要だ」と言われたので、あわてて近くのATMでお金を下ろす。

どうやらここは中国とラオスの国境の町で、朝が早すぎて入国管理局が空いてなかったらしい。結局そこで4、5時間は停まっていただろうか、初めての出国、入国審査を受け、しかし何事もなくパス。

そのあと、なぜかわからないがまたしても3時間くらいバスは動かず、運転手含めみんなでものすごい田舎の食堂で昼食をとった。
とてもおなかがすいてたので、衛生面には目をつむった。



バスがやっと出発。ようやくラオスに入った。


らおすにはいったとたん、あたりは熱帯の雰囲気を帯び始め、草木が生い茂り、たまに見つける建物は丸太作りの高床式住居みたいな感じ。子供たちは素足。

バスはひたすら走り続け、ついに日は落ち始める。
20時頃停車。
夕食だと言われバスを降りる。
元しか持ってなかったが、さすがに中国の国境に近い場所と言うだけあって、元で支払うとキップ(ラオスの通貨)でおつりを出してくれた。

そこから小1時間でようやく、よーーーやくラオス、ルアンパバーンの街に到着。
もうすっかりあたりは暗くなっていたので、バスを降りて目の前にあったゲストハウスに直行。
そんな高くもなかったので即決。
ちょう疲れていたので別途に倒れ込み、そのあとビールを買いに行き一人で飲んで就寝。

2009年7月28日火曜日

どたばたの中、次の国へ





三日間ラサにいた後、成都に飛行機で一時間半で戻る。(行きは成都から西寧で24時間、西寧からラサまで24時間だったのに・・・)


3日間成都に滞在した後、昆明へ行って、0泊でバスで12時間かけてあの理想郷といわれたシャングリラへ。

しかし、実際行ってみると、そんなでもなかったけど。。期待しすぎ?先にラサに行っちゃったせいで感動が薄れてしまったのかも。


そこに2泊して、またバスで4時間かけてトンパ文字発祥の地、麗江へ。
昼間ついて、旧市街に入ると、京都の細い路地を思い出させるような風情のある石畳の小道。脇には小川が流れ、おばちゃんが洗濯していたりした。
とても美しい赴きある町だった。

「ここのほうがよっぽど理想郷じゃん!!」

と、移動ばかりで疲れていたが夢中で街中散策。


しかし、


日が落ちると町の様子は一変。

町中のレストランが、クラブやキャバレー(っていうのか?)のように、女の人たちのダンスショーやライブで重低音響かせまくり。
そのギャップに心底がっかりした。

どうやら中国人の一部の富裕層が休みにこぞって訪れるらしく、渋谷にいそうな格好の女の子がいたり、やたらみんなデジタル一眼を持ち歩いていた。(しかもやたらフラッシュたきやがて!GRぱくられてめげていた俺。俺によこせ!)

ただ、昼間の町並みは本当に美しかった。

しかし、いいかげんビザの期限が迫っていたので、そこも1泊しかできず、次の日の夜、12時間かけて再び昆明へ戻る。



朝5時、「ダオラー!(着いたぞー)」の掛け声に起こされる。


外はまだ暗い、こんな時間に昆明到着。


こんな時間に到着してどうすんだよ!といらいらしながらもバスから降りると、早速待ち構えていたかのようにタクシーやトゥクトゥクの客引きが。


しかし絶対に乗らない。


朝方呼び込みのタクシーに乗り、宿へ連れ込まれ身包みはがされた人と成都で会っていた僕は早朝の彼らの呼び込みに怒りさえ感じていた。


結局ほんのり明るくなる空の下を30分歩いてゲストハウスへ。


エントランスのソファーで寝かせてもらい、10時過ぎ、スタッフに、

「明日いっぱいで中国ビザが切れる。ラオスにバスで行きたいんだけど明日出発しても平気?」
と聞く。正直ゆっくり一泊したかったのだけど、


「今日出るべきだ!」


と言われてしまった。

ラオスまではまた24時間以上かかるから、明日出発してはビザが持たないらしい。


そんな感じで結局どたばたの中、やっと2つ目の国、ラオスに向かうことになった。